Lumberman103’s blog

外材特に北米材アメリカ、カナダ材については日本一のスペシャリスト

初めてのフィンランド出張パート2

フィンランドは首都はヘルシンキで成田空港から直行便が出ていた。ロシア🇷🇺の上空を飛べるようになり、あまり知られてないが日本から一番近いヨーロッパである。飛行時間は確か10時間半だったと思う。時差は9時間でアメリカと反対なので身体は楽である。人口は500万人で面積は日本と同じくらいなので人口密度は少ない。ただ国土の北半分は氷河と寒さで人は住んでいない。私の感想は高い山はなく森林と湖とサウナの国といったところか。あと20数年前で消費税が25%タバコが1000円、車🚗買うのに税金が半分いるので、バカ高い。しかし社会保障が行き届いているのだろう。街中の道は石畳でタクシーはほとんどベンツだった。日本レストランは数軒あったが、あまり美味しくなくホテルで食べた方が良いくらいである。カジノはあったが規模が小さい。

喋る会話は英語でいつも2人で行動するので、だんだんと親しくなる。ホテルの上層階にはプライベートサウナがあり予約して2人で入る。フィンランドがサウナ発祥の地ということをその時知るが、こちらの文化では日本🇯🇵の裸と違って海パンみたいのを履くようだ。パート1でも言ったが本当にいいホテルである。そしてホテルを拠点にして毎日のように2人でホンダレジェンドで製材、木材集荷土場、木材の伐採している森林を見学と視察に行くことになる。

パート3に続く

初めてのフィンランド出張

20数年前フィンランド木材製品、丸太のブームがおこった。今までは日本にはヨーロッパからの建築材向けの木材製品や丸太は輸入されたことはなかった。品質、集荷やコスト的(スエズ運河を通過するのだが運ぶ距離か長い)にも無理と思われていた。それが日本の住宅建築の法律が変わったこと(品確法)が追い風となり製材技術や木材乾燥にすぐれた北欧特にフィンランドに目が向けられた。いざ輸入が始まると品質(おもにホワイトパイン)も良くコストもなんとかなるという事でブームになった。なおブームの後はいつもと同じ様に大量輸入で皆な大損した。私はフィンランド木材ビジネスはずっと否定的に考えていたが検討するためにフィンランドに出張することになる。この時期アメリカ🇺🇸の木材会社もフィンランドに進出していた。日本のヨーロッパ木材ブローカーの紹介でフィンランド視察出張することになる。

フィンランドヘルシンキに空港に着くとスエーデン人が1週間案内してくれるのだが、日本から行くのはいつもの様に私1人である。そのスエーデン人は日本のホンダの高級車🚙レジェンドて迎えに来た。フィンランドは人口は少なく道路が整備されているので郊外に出ると一般道でも150〜160kmで走るので少し怖い。ホテルはスエーデン人に予約してもらったが値段が高そう(新築のインターコンチネンタルヘルシンキホテル)で前がバルト海でロケーションも最高だった。スエーデンから車で来ているので2人でホテルに一週間泊まることになる。ホテルにチェックインするが一体一泊どれくらいの値段か気になるが、その頃のフィンランドの通貨はユーロでなくマルカだったので日本🇯🇵円に直すといくらになるのか分からない。余り覚えてないが高かったと思う。部屋も朝日が入り最高でレストランも凄く立派で高級感がある、朝食はバイキングなのだが種類も豊富でどれも美味しかった。一番印象的だったのは茹で卵の中の固さが5パターンもあったことにビックリした。

パート2に続く

初めての元ソ連バルト3国エストニア出張

初めてロシア出張してから数年後にフィンランドに出張することになり、ヘルシンキから大型フェリー⛴(4万トン位ありそうな)でバルト海を5時間くらいかけてエストニアに渡った。この時に人生最大の船の揺れを経験した。大型フェリーなので大きなレストランで本格的な食事ができるのだがテーブルの上の皿にのった食事すべてが横揺れで落ちるのだ。食事できる状態でないのは明らかだ。歩くことも難しく吐いてる人もたくさんいた。沈没するのでは無いか大丈夫だろうかと心配になってくる。後で聞いたのだがバルト海はよく荒れて1年前に船が沈没したらしい。陸が見えてきた時はほっとした。無事に着いてから何箇所か木材集荷🪵土場に検品に行く。普通自動車🚙で行くのだが5人しか乗れない車に8人が乗り込む。無茶苦茶な定員オーバーである。木材検品するが品質がすこぶる悪い。何のためのにエストニアまできたのだろうか。

フィンランドの話は続編で

初めてのロシア出張パート5

ビジネス以外の話になるがロシア出張で感じたことは私は今60歳だが小学校の低学年までは日本も少し貧しかったかもしれないが、それ以降は高度成長とともに発展し中間層が増え暮らしも良くなっていった。生活に必要な物は何でもあった時代に学生から社会人まで育った。日本の戦前、戦後の話しを聞いたりメディアでは見るが自分にはたしかな実感がない。ロシアを出張すると何か日本の昔を見てるように思えた。ハバロフスク駅や夜に夜行寝台列車に乗り込む風景、ホテルの各階にはオバさんがいて頼めば、服のボタンの修理やワイシャツにアイロンをあててくれる。何か貧しい中にも情があり日本の昭和の風情がある。話がそれたが仕事の話に戻る。ロシア出張が終わり、これからロシア木材を輸入を始めるか決めなければならないのだが、よく考えた末にNOという決断をした。

それから半年後にアメリカの大手木材会社からロシア木材を輸入しないかという話があり、一転してロシア木材ビジネスを始めることになった。

当然アメリカの会社を通すので契約は安全であり、品質の良い木材の輸入が始まった。

初めてのロシア出張パート4

コムソモリスクに移動するのには夜行寝台列車で行くのだが、なぜ夜行なのかというのがロシアならではで軍事基地などの写真を撮られないようにということだ。怪しい場所で写真を撮っているとカメラを取り上げられると教えられた。ハバロフスク駅で夜に列車に乗り込む風景は日本の戦前の感じ、夜行寝台列車の中も同じ様に昭和初期といったところか。あとどういう理由かわからないが列車のスピードが遅く30〜40kmくらいで、人の乗り降りも無いのによく途中の駅で停車する。全てが合理的でないが気にせず朝まで寝るのが一番である。コムソモリスクはハバロフスクより北方で内陸のへき地にあるので、より寒く田舎で人口も少ない小さい町だ。例えが悪いが街並みは映画のゾンビが出そうな暗い風景であ

る。ホテルもなくマンションの一室で仕事のミーティングをする。レストランで食事をするが食べる物も限られたものしか無いし美味しくない。何箇所か見学はしたが結局コムソモリスクでは何の成果もなかった。

続きは続編で

初めてのロシア出張パート3

ロシアのホテルでロシア木材会社との夕食懇親会が地下のレストランであった。私は酒が強い方なのでビール、コニャック、ウイスキーウォッカなど機嫌良く楽しく飲んでいた。ロシアはウォッカというイメージであるがコニャック(ブランデー)も有名らしい。ただロシア人は体も大きく酒が強いのでまともに付き合うと、こちらの身体がもたない。ロシア料理はだいたいは味が濃くお酢が強くてあまり美味しくない。懇親会も終わりその後、自分の部屋に帰るためエレベーターは動かないため階段を上がっていると若い女性3人から遊ばないかと声をかけられたが断りやっとのことで部屋にたどり着いた。翌日聞いた所によると5人ぐらいは若い女性に声をかけられて女性の家まで行ったそうだ。そして家には2m近い旦那がいたそうだ。その後のことは詳しく聞いてないがその5人は無事に翌日ホテルに帰ってきていた。懇親会の翌日全員が身体の調子が悪くなり激しい下痢が始まった。始めは水も飲んでないし食事もこれといった気がつく物もなく原因がいくら考えても分からなかったが1つ思い当たる事に気がついた。ウイスキー🥃の水割りの氷である。ストレートで飲めば良かったのだがアルコールが強いので氷で割ったのが悪かった。ロシアのトイレにはトイレットペーパーがないので、いつもトイレットペーパーを持ち歩くのだが回数が多くなり大変だった。下痢が治るのには日本に帰ってから数日かかった。余談だが日本から持っていく物にパンティストッキングがあったのだが、これをロシアの女性にプレゼントすると間違いなく喜ばれるてモテるらしい。

続編パート4に続く

初めてのロシア出張パート2

初めてロシア出張のメンバーは日本の木材専門商社の社長含めて5人と日本全国の木材会社10人であった。会社の名前は聞いたことはあるが知っている人はいない。唯一知っているのは商社の担当者だけだった。まず初め日本レストランで食事をしたが、たしかサッポロラーメンでそこそこ美味しかった。そこで働いてる若いウエイトレスだが皆んなモデル級の美人ばかりでびっくりしたのを覚えている。後で知るが若い時は美人なのだが結婚すると太るらしい。あと離婚率が高く理由は旦那が仕事をしなくて酒(ウォッカ)ばかり飲みアル中率が高く自殺が多くて男性はそもそも寿命が短いらしい。ハバロフスクの街を少し観光するが街並みはユーロッパ風で教会などを中心に道路が放射線状に作られている。あと立派な戦死者の石碑が多くあり戦争に対して思い入れが強いのだろうと感じた。仕事の話に移るが移動はもっぱら日本車の4輪駆動のラウンドクルーザーが喜ばれていた。道路状況が悪く街から離れるとガタガタ道が続くので多分故障が少ない日本車を選ぶのだろう。一日に何箇所か木材集荷土場や製材所を回り、木材検品(ロシアの品種はエゾマツかアカマツ)や製材所見学してその後ミーティングをする。検品見学後に感じたのはどれも整備がされてなく煩雑でちゃんと経営されてるようには見えない。木材検品するが本当に見た木材が輸入できるのか?ロシア木材ビジネスを始めるのに疑問を感じた。その頃は日本海側の地区は昔からロシアの付き合いが長くロシア木材を輸入していたが西日本の太平洋側はまったく付き合いが無く輸入0だった。出張後結論としてロシア木材輸入はしない事を決断する。

しかしその後あるきっかけを理由にロシア木材ビジネスが始まる!

この話は続編でします。